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身分制度の維持を図る観点

日本では、身分制度の維持を図る観点から身分相応以上の服装を着用する行為が道徳風俗違反であるとして「過差(かさ)」であると非難された。聖徳太子の冠位十二階でも朝廷に出仕する者の服装規定が定められ、以後も度々奢侈禁止令が出されたが、当初はその対象は主に貴族・官人層であった。

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養老5年(721年)に「節を制し度を謹しみ、奢侈を禁防するは、政を為すに先とする所にして百王不易の道なり」と唱えて位階に応じて蓄馬を規制し、長徳元年(999年)には、藤原道長を一上とする太政官が、「美服過差、一切禁断」とする太政官符を出すなど、度々奢侈禁止令が出されている。建武の新政の際には後醍醐天皇が政治刷新の一環として「過差停止」の宣旨を出しているものの、当時の婆娑羅・風流の風潮を止める事はできなかった。

だが、近世に入って江戸幕府が士農工商を問わずに発令した贅沢を禁じる法令及び命令の一群はその中でも群を抜いていた。

寛永5年(1628年)には、農民に対しては布・木綿に制限(ただし、名主及び農民の妻に対しては紬の使用を許された)され、下級武士に対しても紬・絹までとされ贅沢な装飾は禁じられた。また同年には旗本に対しては供回りの人数を制限させるなど、以後家族の生活や食生活、交際時の土産の内容までが規制を受けた。これは旗本に江戸常駐を原則として義務付けたことによって旗本が生産地である知行地から切り離されて消費者に転化してその生活が苦しくなったという事情が大きく働いていた。

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2009年05月02日 09:24に投稿されたエントリーのページです。

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