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今日の動物の権利に関する議論は

今日の動物の権利に関する議論は、最も初期の哲学者たちまでさかのぼることが可能であろう。紀元前6世紀のギリシアの哲学者であり数学者でもあったピュタゴラスは輪廻転生を信じていたため、動物に敬意を払うように主張した。一方、同じアテナイ人であるアリストテレスは紀元前4世紀の著作の中で、動物は理性を持たないため自身の権利はなく人間の利益のためにだけ存在しているとし、存在の偉大なる連鎖--あるいは自然の階梯--の中で人間よりもはるか下方に位置すると論じた。

17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルトは動物は精神を持たず考える事も苦痛を感じる事もないため、動物に対してどんなにひどい扱いをしようが間違いであることはあり得ないと主張した。[要出典]これに対し同じフランス人のジャン=ジャック・ルソーは、『人間不平等起源論』(1754) の序文で次の様に論じた:人間は「知性と自立した意思を欠いた存在」でこそないものの、出発点は動物である。さらには動物は感覚を持つ存在であるため、「自然権を持つものに含まれるべきであり、人間は動物に対して責務を負っている」、とりわけ「無益に虐待されることのない権利を有するものである」
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ルソーと同時代には、1793年に亡くなったジョン・オズワルドがいる。『The Cry of Nature or an Appeal to Mercy and Justice on Behalf of the Persecuted Animals』の中で彼は次の様に論じた:人間は生まれつき慈悲と思いやりの心を備えている。もし自分が食べる動物が死ぬのを見なければならないとしたら、ヴェジタリアンになる人は今よりはるかに増えるだろう。しかしながら分業が発達したために、近代の人間は生まれつきの思いやりの心を起こさせることなく肉を食べられるようになる一方で、残忍な行いに慣れていった。

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2009年12月01日 05:40に投稿されたエントリーのページです。

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